2018年7月19日木曜日

ゲームが好きなおすみです


西日本豪雨が甚大な被害をもたらした直後から、酷暑の日々が続いていますね。私は愛媛県出身ですが、幸いにも身近に大きな被害を受けた人はいませんでした。それでも連日の報道で見る故郷の変わり果てた姿には胸が痛みます。一日も早い西日本の復興を祈るばかりです。

さて、今回はゼミ生の人柄を知ってもらうためのブログということで、私の好きなことと異文化コミュニケーションとを少し関連付けてみたいと思います!拙い文章になると思いますが、お付き合いください。

私の好きなことは(タイトル通り)ゲームです。ゲームといっても様々なジャンルがありますが、RPGやアドベンチャーゲームのようなストーリー性の高いゲームが好きです。ゲームに限らず小説や漫画も好きで、これらの現実にはできない体験ができるという点が好きです。人間と動物が話せたり、モンスターと共存したり、一緒に旅をしたり、というような現実世界ではできない異文化コミュニケーションを疑似体験できますよね!

最近流行っているゲームの中に『DETROIT Become Human』というPS4のゲームがあります。これは2038年のアメリカが舞台で、アンドロイドが発達し意思を持ち始め、人間と平等の権利を求めて立ちあがるという物語です。2038年までは、アンドロイドはモノであり家事や仕事を手伝ってくれる存在とされていました。したがって人間がアンドロイドに命令する、という一方的なコミュニケーションが行われています。しかし、アンドロイドが意思を持ち始めたことにより、人間との関係性やコミュニケーションの取り方に次第に変化が表れてきます。
このゲームの中には、アンドロイドは「モノであり、道具である」という人もいれば、「人間と同じ生きている存在だ」という人も出てきます。見た目も話す言葉も人間と同じ。意思や感情すら持ち合わせている。ただ、その体はプラスチックでできていて、体内には青色の血が流れている。そんなアンドロイドが実際に目の前にいたら、私たちはどのように彼らと接するのでしょうか?今はまだゲームの中の話ですが、AIやロボットの研究は世界中でどんどん進歩しており、近い将来こんな世界が本当に私たちを待っているかもしれませんね。

ゲームと聞くと娯楽のイメージが強いと思いますが、現実とは違う世界で様々な異文化コミュニケーションを疑似体験することで、考えさせられることも多々あります。もし気になった人は、是非DETROITも調べてみてください(^^)

2018年7月5日木曜日

平成30年度 ゼミ演習の様子②


平成30年度 ゼミ演習の様子①

 今年後は、卒業論文を書くために論文の書き方や研究の仕方、談話分析の仕方などについてテキストを使って学んでいます。
 使用しているテキストは、
①井下千以子(2014).『思考を鍛えるレポート・論文作成法(第2版)』慶應義塾大学出版会.
②橋内武(1999).『ディスコース:談話の織り成す世界』くろしお出版.
の2つです。

2018年6月21日木曜日

こんにちは。ととろでございます。

 今回から、ブログを読んでくださっている皆様に、ゼミ生の人柄を少しずつお伝えできるような記事もちょっとずつ書いていこうと思います。当ゼミ自慢のメンバーたちを、少しでも身近に感じていただけると幸いです。
 最初は、今年度からブログ担当も兼任しているととろくんです。
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梅雨の季節になってまいりました。
この季節は季節と季節の変わり目です。
体調を崩しやすくなってきます。
皆さまは体調はいかがでしょうか。
私自身の話を少しばかりさせていただこうと思っております。私は群馬県の太田という街でこの世に生を受け、10歳になるタイミングで神奈川県の藤沢という街に引っ越してまいりました。実家は浄土宗のお寺です。父が住職をしております。母と、20歳になる妹と9歳になる弟と私の5人家族です。特別なものは特にありませんが、仲の良い家族だと思います。

さて、話は変わって先日のこと、私が恩師と慕う方の息子さんの訃報を受けました。あるよく晴れた、金曜日のことであったと思います。次の日にお会いする約束があり、とても楽しみにしていたのです。しかし、夜になっていきなりそのメールが届いたのです。内容は、「昨日、息子さんが他界したので会えなくなった」といったものでした。私よりもひとつ歳の下の方でした。先生とお会いするといつも息子さんの話を楽しそうにしている方でした。仲の良さが伝わってきていました。

私の家の実家はお寺です。亡くなった方を送る場面にはよく立ち会うし、他の人よりもある意味で慣れている方でした。しかしながら、今回の彼の死はなぜか、他人のことのように全く思えないのです。

実は、息子さんが他界された日の朝の夢で私は実家の本堂でお経をあげている夢を見たのです。その日に彼は亡くなったのです。息子さんには一度もお会いしたことがないのですが、本当は会わなければならない人、縁を結ばなければならなかった人であったような気がしてならないのです。と、同時に最近は息子さんから、先生のことを託されたのだとも思うようになりました。
今の私は、きっと、私が生きる分と、彼が歩むはずだった分の2人分、生かしてもらっているんだと思います。
きっと、我々が迎える明日は、昨日まで明日を迎えたかった誰かの分も生きさせてもらっているのだとおもいます。

ジブリ映画作品の『千と千尋の神隠し』の主題歌の『いつも何度でも』の歌詞の中に、次のような歌詞があります。

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんな同じ

本当にこの通りだと思います。
人は生を終えるときは、穏やかに、門をくぐる抜けるかのように、また別の世界への新しい「生」を受けて旅立つのでしょう。そしてその時に、きっと誰かに想いを繋ぐのだと思います。
それは、私たちに癒しを与えてくれる花も、颯爽と吹く風も、我々の礎となる街もみんな同じなのです。

人の想いをつなげられる、優しい人間になりたいですね。

では、今日はここらへんで。

2018年6月4日月曜日

新メンバー紹介!

 今年度からこのゼミナールに1人の新しい仲間が加わりました!
ゼミ生の自己紹介欄に新メンバーのひよこまめちゃんの紹介文も追加したので是非チェックしてください(*'▽')

 ついに6月から2020年の就職活動が解禁になったそうで、3年生の新メンバーに4年生の先輩たちが就活のアドバイスをしている様子も前回のゼミでは見受けられました。
真面目で可愛い後輩が入ってくれたことで、4年生の気も引き締まった…のではないでしょうか?(笑)
 
 縦の繋がりも生まれたことで、このゼミナールがどう変化していくのか楽しみです!

2018年5月22日火曜日

昨年度末の活動報告

 今年度のゼミナール活動も始まり、早1ヶ月半ほどが経ちました。ここで昨年度末の活動報告をさせていただきます。

 2月14日に、学部主催でゼミナールの1年間の研究結果を報告しあう公開発表会がありました。このイベントには企業の方も足を運んで下さり、私たちの学部生の研究内容やプレゼンの仕方について様々なご意見やご感想を言ってくださいました。

 異文化コミュニケーション学ゼミナールの発表では、
   ①異文化コミュニケーション学とはどのような学問か
   ②異文化コミュニケーションと社会との関わりとはどのようなものがあるか
   ③ゼミナールのメンバーの卒業論文のテーマは何か
という3点を中心にプレゼンを行いました。特に②の部分ではちょっとした劇を取り入れ、「異文化コミュニケーション」という言葉を初めて聞く方にもわかりやすい発表をすることを心掛けました。
 発表を聞いてくださった企業の方からは、我々のゼミが「1番アットホームな雰囲気で、発表者以外のゼミ生も発表者をサポートしようとしているのがよく伝わった」というような嬉しいお言葉もいただきました!

 この発表のために春休み中も積極的に集まり、共に準備をするなかでゼミ生同士の仲もより深まったのではないかと思います。また、個人の研究テーマの見直しができたり、自分の研究領域の概要を人に説明する方法を学べたりと実り多きイベントとなりました。

発表に使用したスライドの一部
「異文化コミュニケーションとは何か」という点でゼミ生間で積極的な議論となった

発表に使用したスライドの一部
この部分の説明を劇を用いて行った

発表後の集合写真
お疲れさまでした!

2017年12月15日金曜日

リサーチ・ノート③(しと)

【新しく始めたアルバイト先での異文化コミュニケーション体験】

 つい最近のこと、あるスポーツ施設(一般公開につき競技名は伏せます.)の店員としてアルバイトを始めた。自分にとっては初の長期でのアルバイトだ。仕事の内容は、主に道具の清掃や会計などの雑務、そして何よりお客様、特に常連客の方々とのコミュニケーションだ。この業界の常連客といえば、そのほとんどが自分の親世代かそれ以上の方ばかりで、今回働き出した店も例外ではない。今回のリサーチノートは、そんな自分の両親と同じ世代の常連客との店員としてのコミュニケーションにおいて感じ考えたことを記しておく。

 まず、この話の前提つまりコンテクストとして、自分は一般的な施設の店員と比べ、この競技の腕が幾分、或いは、かなり劣っている。これは自他ともに感じていることであり、一言で言えば「まだまだ」という状態なのである。自分はこのことについて、店員としていち早く上達せねばと思うことも、自分のペースで愉しみながら徐々に上達できたら良いと思うことも、いずれもある。とはいえ、自分の中で最も大事にしたいと思うのは自分のペースであり、その理由はこの競技が自分にとって娯楽的趣味の一つだからである。敢えて言い換えるならば、まさか自分の人生を賭けてやろうと思うほどのものではないということである。
 一方で、かなり腕の立つ長年の常連客の何人かの方々は、自分とは全く異なる価値観をこの競技に対して抱いている。それは言うならば、上達したいのならば命を賭けなければ駄目だとも解釈できるほどのものである。これは、彼らの若かりし頃の業界は、現在とは比にならぬ程の厳しい弱肉強食の世界であり、そこを勝ち上がってきた無頼の方々であるからではないかと推察できる。

 このような競技に対する異質な価値観、すなわち「フレーム」の違いが、店員としての自分と常連客との間に異文化摩擦を引き起こした。平たく言えば、自分の上達に対する考えの、曰く「甘さ」に対して一部の常連のお客様方に半ば叱られる形で苦言を呈されたのである。ここにおいて、日本における一つの「ルール」として、店員としてお客様には決して反発してはいけないということがある。また、日本での世代という副次文化の影響で、自分からその両親と同じ世代の方々に反発するというのは、これも日本の「ルール」的に好ましくない。そしてついに自分はそういう苦言を甘んじて聞き入れるのに徹することしかできず、その日から暫く悶々とする羽目になってしまった。

 今回のノートでは、働き始めて間も無い自分に起きた異文化コミュニケーションの問題を、今できる範囲で分析するに留まった。おそらく今後も働いていく上でますます問題が浮き彫りになっていくであろう。そこで、これから自分がいかに「ルール」に則りつつ、心を悶々とさせずに上手く対処していけるか、どんな方法があるかを、今後の学びとともに探っていきたいと思う。