【新しく始めたアルバイト先での異文化コミュニケーション体験】
つい最近のこと、あるスポーツ施設(一般公開につき競技名は伏せます.)の店員としてアルバイトを始めた。自分にとっては初の長期でのアルバイトだ。仕事の内容は、主に道具の清掃や会計などの雑務、そして何よりお客様、特に常連客の方々とのコミュニケーションだ。この業界の常連客といえば、そのほとんどが自分の親世代かそれ以上の方ばかりで、今回働き出した店も例外ではない。今回のリサーチノートは、そんな自分の両親と同じ世代の常連客との店員としてのコミュニケーションにおいて感じ考えたことを記しておく。
まず、この話の前提つまりコンテクストとして、自分は一般的な施設の店員と比べ、この競技の腕が幾分、或いは、かなり劣っている。これは自他ともに感じていることであり、一言で言えば「まだまだ」という状態なのである。自分はこのことについて、店員としていち早く上達せねばと思うことも、自分のペースで愉しみながら徐々に上達できたら良いと思うことも、いずれもある。とはいえ、自分の中で最も大事にしたいと思うのは自分のペースであり、その理由はこの競技が自分にとって娯楽的趣味の一つだからである。敢えて言い換えるならば、まさか自分の人生を賭けてやろうと思うほどのものではないということである。
一方で、かなり腕の立つ長年の常連客の何人かの方々は、自分とは全く異なる価値観をこの競技に対して抱いている。それは言うならば、上達したいのならば命を賭けなければ駄目だとも解釈できるほどのものである。これは、彼らの若かりし頃の業界は、現在とは比にならぬ程の厳しい弱肉強食の世界であり、そこを勝ち上がってきた無頼の方々であるからではないかと推察できる。
このような競技に対する異質な価値観、すなわち「フレーム」の違いが、店員としての自分と常連客との間に異文化摩擦を引き起こした。平たく言えば、自分の上達に対する考えの、曰く「甘さ」に対して一部の常連のお客様方に半ば叱られる形で苦言を呈されたのである。ここにおいて、日本における一つの「ルール」として、店員としてお客様には決して反発してはいけないということがある。また、日本での世代という副次文化の影響で、自分からその両親と同じ世代の方々に反発するというのは、これも日本の「ルール」的に好ましくない。そしてついに自分はそういう苦言を甘んじて聞き入れるのに徹することしかできず、その日から暫く悶々とする羽目になってしまった。
今回のノートでは、働き始めて間も無い自分に起きた異文化コミュニケーションの問題を、今できる範囲で分析するに留まった。おそらく今後も働いていく上でますます問題が浮き彫りになっていくであろう。そこで、これから自分がいかに「ルール」に則りつつ、心を悶々とさせずに上手く対処していけるか、どんな方法があるかを、今後の学びとともに探っていきたいと思う。
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